下地町 (愛知県)とは? わかりやすく解説

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下地町 (愛知県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/07 19:49 UTC 版)

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しもじちょう
下地町
廃止日 1932年9月1日
廃止理由 編入
現在の自治体 豊橋市
廃止時点のデータ
日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 愛知県
宝飯郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 6,553
(1930年10月1日)
下地町役場
所在地 愛知県宝飯郡下地町
座標 北緯34度46分39秒 東経137度23分08秒 / 北緯34.7775度 東経137.38547度 / 34.7775; 137.38547 (下地町)座標: 北緯34度46分39秒 東経137度23分08秒 / 北緯34.7775度 東経137.38547度 / 34.7775; 137.38547 (下地町)
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下地町(しもじちょう)は、愛知県宝飯郡にかつて存在した。現在の豊橋市の一部に該当する。

豊川の北岸の町であり、旧東海道が通る交通の要所であった。宝飯郡と渥美郡を結ぶ豊川の橋が豊橋であり、豊橋市の地名の由来である。

歴史

  • 江戸時代末期、この地域は三河吉田藩領、寺社領などであった。
  • 1878年明治11年) -
    • 横須賀村と藪下新田が合併し、津田村となる。
    • 大磯村、沖木村、住吉村、柴屋村が合併し、大村となる。
  • 1884年(明治17年) - 大村と大蚊里村が合併し、大村となる。
  • 1889年(明治22年)10月1日 -
    • 町村制により、下地村が発足。
    • 大村と長瀬村が合併し、大村となる。
    • 下五井村、清須新田、津田村、瓜郷村が合併し、鹿菅村となる。
  • 1891年(明治23年)10月16日 - 下地村が町制施行し、下地町となる。
  • 1906年(明治39年)7月1日 - 下地町、大村鹿菅村 が合併し、下地町となる。
  • 1932年(昭和7年)9月1日 - 豊橋市に編入

学校

交通機関

脚注

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関連項目




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