三重津海軍所の施設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 23:39 UTC 版)
三重津海軍所跡は、発掘調査や文献調査の成果から明らかになった運用方法から「船屋地区」「稽古場地区」「修覆場地区」の三地区に分かれることが調査報告書に記載されている。「船屋地区」は、三重津が佐賀藩洋式艦隊運用根拠地となる以前から使用されていた藩の和船運用施設の一つであった。蒸気船建造計画(安政2年)の際にはこの地区に細工場や材木置場等を建設する予定であったことが当時の絵図から推定されている。但し、この計画はこの時は実行に移されなかった。「稽古場地区」は銃等を用いた調練施設。「修覆場地区」は、洋式船の金属部品製作加工を行った「製作場」とドライドックのあった「御修覆場」から構成される。 三重津海軍所は、「船屋地区」→「稽古場地区」→「修覆場地区」の順に段階的に拡張整備されていったようである。
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