三浦義周・安祥院・清水重好とは? わかりやすく解説

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三浦義周・安祥院・清水重好

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 15:26 UTC 版)

三浦浄心」の記事における「三浦義周・安祥院・清水重好」の解説

延享2年1745年)に浪人から取り立てられ幕臣となり、『寛政重修諸家譜寛政譜)』などにその名がみえる三浦義周 は、浄心の子孫と伝えられていた。 義周の娘は、形原松平又十郎親春の養女として大奥勤仕し、延享2年2月徳川家重の子清水徳川家初代となる万次郎徳川重好)を生み、家重側室となった(のち剃髪して安祥院称した)。これに伴い義周は同年8月18日幕臣取り立てられた。なお、大田南畝一話一言によれば安祥院は義周の実のではなく西尾忠尚家来某の娘で、義周の養女である。 義周の葬地築地本願寺善宗寺であったが、その子孫普門院葬地としていた。また『幕府祚胤伝』によると安祥院葬地普門院である。 1934年田中博玉川沿革誌』にある世田谷区上野毛善宗寺1928年築地から移転)の伝には、「当寺には幕府直参三浦五郎左ヱ門の娘にて徳川十一代将軍簾中となり、後上野凌雲院に葬られたる御方位牌将軍家より納められてあり、幕府執政中は其位碑守護として三葉葵紋章高張許されるの名誉を有した」と伝えられていた。

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