三浦義如と小網代・永昌寺
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「三浦浄心」の記事における「三浦義如と小網代・永昌寺」の解説
三浦義如は、宝暦12年(1762年)12月に御船手頭となり、水主48人を預った。明和5年(1768年)に御留守居番・御徒頭4番組となり、安永5年(1776年)から同7年(1778年)に死没するまで御先手鉄炮頭を務めた。 『三崎志』には、三浦の小網代の永昌寺について、毎年7月に三浦義同・導寸父子とその配下75人の冥福を修していることがみえ、「宝暦中(1751年-1764年)、三浦五郎左衛門、金栗を永昌に遣り、祭を助く」とある。前出の『永嶋家系図』にも、永昌寺の縁起が付されている。
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