三度目の来日と西南戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 09:21 UTC 版)
「アーネスト・サトウ」の記事における「三度目の来日と西南戦争」の解説
1877年(明治10年)1月に日本に戻ったが、パークスの命で直ちに鹿児島視察に派遣された。鹿児島滞在中に西南戦争が勃発した。出陣直前の西郷隆盛に会ったが、ほとんど話すことはできなかった。 1878年(明治11年)7月、信州、北陸方面へ旅行。長野県大町市から北アルプスを横断する立山新道を経て富山県富山市へ至っている。 1880年(明治13年)に長男・栄太郎、1883年(明治16年)に次男・久吉(後の武田久吉)が生まれた。同年まで日本に滞在し、三度目の賜暇で帰国した。 その後はシャム駐在総領事代理(1884年 - 1887年)、ウルグアイ駐在領事(1889年 - 1893年)、モロッコ駐在領事(1893年-1895年)を歴任した。
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