三度目の皇后擁立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 22:42 UTC 版)
304年2月、鄴を統治する司馬穎が朝政を専断するようになると、羊献容は再び皇后を廃立されて金墉城に幽閉された。 同年7月、東海王司馬越が右衛将軍陳眕・上官巳らと共に洛陽において司馬穎討伐を掲げて決起すると、彼は洛陽にいる司馬穎一派を追い払い、羊献容を三度皇后に立てた。その後、司馬越らは恵帝を奉じて鄴へ向けて軍を発したが、親征軍は蕩陰において司馬穎配下の石超に大敗を喫し、恵帝の身柄は司馬穎に押さえられてしまった。
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