三州白龍の法嗣としてとは? わかりやすく解説

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三州白龍の法嗣として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/16 03:53 UTC 版)

卍海宗珊」の記事における「三州白龍の法嗣として」の解説

京都生まれる。享保元年1716年)の秋、曹洞宗の寺院源光庵三州白龍のもとに投ず。同13年1728年)の春、隠之道顕江戸妙喜庵参じ、梵巌梵)や晣賢(晣賢黙伝・戒光折賢)等と法友となり掛錫する。同14年1729年)、加賀宝円寺大用慧照に参じ戒脈相承する。同15年1730年)の春、加賀大乗寺大機行休に参ずる大機示寂する。同年秋、三洲が大乗寺の後席となり、随身として仕える。同17年1732年)の冬、三洲の『鷹峯卍山和尚広録』(『卍山広録』)の刊行発願、卍海はその幹事となり、約10年刊行する。同18年1733年)、三洲の印証を授かる元文2年1737年)の冬、加賀浄明寺の覚岸白明の安居赴く同年秋、越前国永平寺に瑞世拝登する。のち京都の妙玄庵(現在は廃寺)に8-9年住み、『宗統復古志』を筆受した。

※この「三州白龍の法嗣として」の解説は、「卍海宗珊」の解説の一部です。
「三州白龍の法嗣として」を含む「卍海宗珊」の記事については、「卍海宗珊」の概要を参照ください。

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