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三上昭美

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/29 13:59 UTC 版)

みかみ てるみ

三上 昭美
生誕 1931年1月1日
日本岡山県阿哲郡新見町
(現・新見市
死没 2018年8月19日(87歳没)
日本東京都日野市
国籍 日本
出身校 旧制岡山県立高梁中学
(現・岡山県立高梁高等学校
旧制第三高等学校
中央大学法学部
職業 教育者歴史学者
団体 中央大学関係者
日本古文書学会
明治維新史学会
地方史研究協議会
肩書き 中央大学文学部教授
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三上 昭美(みかみ てるみ、1931年昭和6年〉1月1日[1] - 2018年平成30年〉8月19日 )は、日本の歴史学者。元中央大学文学部教授。日本の近代史の研究者として知られ、日本古文書学会常任理事などを務めた。岡山県新見市出身[2]

経歴

生い立ち

1931昭和6)年、岡山県阿哲郡新見町(現:新見市)で出生する。1943(昭和18)年、地元に近い旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学する。同期には岡山大学名誉教授の佐藤巌がいた。1945(昭和20)年、学徒動員先だった山口県の小野田セメント工場で玉音放送を聴く。

5年制であった旧制中学を4年で飛び級卒業(新制中学校へ移行処置)し、旧制高等学校で最後の入学生となる1947年京都にある第三高等学校文科へ進学した。病気療養のために退学し、岡山県立高梁高等学校に編入学し、1950(昭和25)年卒業。1955(昭和30)年、中央大学法学部政治学科へ入学、1959(昭和34)年卒業。大学時代はアルバイトで古書店「三上書房」を開業していた。1961(昭和36)年、中央大学大学院文学研究科東洋史専攻修士課程修了[2]

歴史学者として

1962年(昭和37年)、中央大学大学院文学研究科国史学専攻博士課程に進学するが、同年、中央大学文学部史学科助手となり、専任講師や助教授を経て、1982年(昭和57年)51歳の時に中央大学文学部教授となる。三上の専門分野は日本近現代史、特に幕末維新史や吉岡弥生の研究で知られた。1989年(平成元年)にはフランスへ留学する[2]。1993(平成5)年、病気により中央大学を依願退職。中央大学在職中は東京女子医科大学、琉球大学、法政大学、実践女子大学で非常勤講師を務め、中央大学退職後の1994年(平成6年)から立正大学文学部史学科で長らく講師を務めた[3]

学会活動では日本近代史学会理事、日本国際政治学会評議員、日本古文書学会常任委員、日本歴史学協会副委員長、国立公文書館の特別委員会委員長、常任委員、明治維新史学会の副会長、顧問などを歴任した。この他、地方史研究協議会にも所属し、太田市議会史編集委員長、調布市史近代史部門の編纂事業にも関わった。2018年(平成30年)8月19日に死去。享年87[2]

脚注

  1. ^ 日本大学大鑑 1973年版, 総合学生問題研究所 編 日本学術通信社, 1973年
  2. ^ a b c d 日外アソシエーツ現代人物情報
  3. ^ 立正史学 (88);2000・9 立正大学史学会 編



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