七つ塚古墳群
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 03:21 UTC 版)
七つ塚古墳群(ななつづかこふんぐん)は、笠岡市走出字木々名にある古墳4基の総称。いずれも一辺10メートルに満たない小方墳である。 東端の2号墳は1号墳よりも早い時期の築造で、墳丘は一辺約8メートル・高さ1.5メートルを測る。主体部の埋葬施設は木棺である。墳丘裾部において初期須恵器片(壺・甕)が検出されている。 次いで築造された1号墳は、墳丘は一辺約9メートル・高さ1メートル弱を測る。主体部の埋葬施設は箱式石棺で、長さ2.2メートル・幅約0.5メートルを測り、小さな副室を伴う。主室からは鉄製品(刀・剣・鏃・斧・鍬先など)・滑石製勾玉・臼玉が、副室からは初期須恵器(壺・𤭯)・土師器(椀)が検出されている。 3号墳・4号墳は1号墳に先行する時期の築造と見られるが、墳丘盛土のほとんどが失われている。4号墳の主体部の埋葬施設は木棺で、棺内から鉄刀が検出されている。 4基の築造時期は古墳時代中期の5世紀前半頃と推定される。墳丘規模は小さいが、初期須恵器の出土から朝鮮半島との関わりをうかがわせる点で注目される。 七つ塚1号墳出土品笠岡市立郷土館展示。
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