一門から離脱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/10 10:16 UTC 版)
2012年4月、1月の理事選で貴乃花光司に投票したことへの引責を理由に一門からの離脱を申し入れ、貴乃花グループ(後に貴乃花一門)へ合流した。これに伴い、立浪一門は同年5月場所中に臨時の一門会を開催し処遇及び名称の変更を協議した結果、一門名を「春日山・伊勢ヶ濱組合」とすることで意見がまとまった(同年11月に伊勢ヶ濱一門に再改称)。2015年7月場所より、前月に死去した同じ一門の19代音羽山の後任として勝負審判に再任されたが、翌9月場所直前の9月7日に、20代音羽山が審判部に異動した関係で立浪自身は5月場所まで配属されていた監察委員に再度異動した。
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