一度目の上京と第一次近文アイヌ給与地問題の終結
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/05 10:04 UTC 版)
「天川恵三郎」の記事における「一度目の上京と第一次近文アイヌ給与地問題の終結」の解説
旭川から有志の青柳鶴治、板倉才助、アイヌからは川上コヌサが同行し、天川は東京へ向かう。東京では、複数の新聞社を訪問し運動について語るが記事にはならなかった。そんな中、彼らの宿に大石正巳が現れ、天川のみを大隈重信伯爵のもとへ連れて行った。「旭川の給与地がどうなったか」と尋ねる大隈に対し、今までの経緯を説明すると、大隈は憤慨し、天川に宿で待つよう指示した。三日後の5月4日、内務省から呼び出された天川ら四名は、同じく召喚された園田安賢北海道長官と相対する。その場には、当時内務大臣であった西郷従道、北海道課長の白仁武が同席した。事の次第を暴露した天川らに対し、園田は「給与地を大倉組に下付した指令を取り消す。しかし土人保護法では、アイヌに開墾を義務付けている。開墾しないのであれば法に従い土地を没収する。開墾できるか。」と問うたので、天川は「必ず開墾する」と回答。これにより実質的に近文アイヌが勝利をおさめ、第一次近文アイヌ給与地問題は終結した。
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