一度目の執政官として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/03 02:44 UTC 版)
「ガイウス・フラミニウス」の記事における「一度目の執政官として」の解説
紀元前223年に執政官に就任すると、インスブレス族に勝利して凱旋式を挙行した。一説によると元老院は彼の反抗的な態度に対し、凱旋式の差し止めや執政官職の解任まで要求したというが、市民の投票によって挙行が決定したという。余談だが第二次ポエニ戦争で兵員の足りなくなったローマは緊急に募集した兵士にこの凱旋式の時の戦利品を装備させている。 翌紀元前222年には執政官マルクス・クラウディウス・マルケッルスがクラスティディウムの戦いでインスブレス族を破り、メディオラヌムなどを陥落させ、徐々にガリア・キサルピナはローマの勢力圏となっていった。 紀元前221年、ファビウス・マキシムスが独裁官に就任すると、副官に任命された。
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