いちじ‐せんきん【一字千金】
一字千金
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 18:01 UTC 版)
この時期には孟嘗君や信陵君などが食客を集めて天下の名声を得ていたが、呂不韋はこれに対抗して3,000人の食客を集め、呂不韋家の召使は1万を超えたと言う。この客の中に李斯がおり、その才能を見込んで王に推挙した。 更に客の知識を集めて、紀元前239年には『呂氏春秋』と言う書物を完成させた。これは当時の諸子百家の書物とは違って、思想的には中立で百科事典のような書物である。呂不韋はこの書物の出来栄えを自慢して、市の真ん中にこれを置いて「一字でも減らすか増やすか出来る者には千金を与える」と触れ回ったという(一字千金の由来)。 以呂氏春秋 布咸陽市門 懸千金其上 延諸侯游士賓客 有能增損一字者 予千金 — 『史記』巻八五 呂不韋列伝
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