ヴラディスラフ・チェルヌシェンコとは? わかりやすく解説

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ヴラディスラフ・チェルヌシェンコ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/04 06:52 UTC 版)

ヴラディスラフ・チェルヌシェンコ
Владислав Чернушенко
基本情報
生誕 (1936-01-14) 1936年1月14日(88歳)
ソビエト連邦 レニングラード
学歴 レニングラード音楽院
ジャンル クラシック
職業 指揮者
担当楽器 指揮

ヴラディスラフ・アレクサンドロヴィチ・チェルヌシェンコロシア語: Владисла́в Алекса́ндрович Чернуше́нко;ラテン文字転写:Vladislav Aleksandrovich Chernushenko[1]1936年1月14日[2][3] - )は、ソビエト連邦指揮者

略歴

1936年、レニングラードで生まれた。1944年から1953年までレニングラード国立アカデミー合唱団附属の合唱音楽学校で、エリザベート・アヴァノヴァの下でピアノ、アレキサンドル・パトリケイエフの下で指揮法を学んだ。その後、レニングラード音楽院に進学してアレクサンドラ・ニクルソヴァに合唱指揮を学び、1957年に卒業。

1958年から1962年までマグニトゴルスクの音楽学校の講師となり、その地の合唱団を指導した。1962年にレニングラードに戻り、アマチュアの合唱団を結成して1979年まで音楽監督を務めた。指揮者あるいは音楽監督として活動する一方で、1967年から1970年まで、再びレニングラード音楽院でイリヤ・ムーシンの指導を受けた。

1971年からはマールイ劇場の第二指揮者を務め、1974年にはグリンカ記念レニングラード国立アカデミーカペラ合唱団(現・サンクトペテルブルク国立アカデミーカペラ)の音楽監督兼首席指揮者に就任した。

教育者としては、1971年以降、母校のレニングラード音楽院のほか、グリンカ合唱学校、レニングラード音楽大学などでも教鞭をとり、1979年から2002年までレニングラード音楽院の院長を務めた。また、1974年にはレニングラード合唱協会の会長、1983年からロシア音楽協会の副会長、1986年からレニングラード音楽協会の会長などを歴任した。

受賞・栄典

出典

  1. ^ Tchernushenkoの転写もある。
  2. ^ Владислав Чернушенко”. kapellanin. 2013年4月6日閲覧。
  3. ^ Чернушенко Владислав Александрович”. Кино-Театр.ru. 2013年4月6日閲覧。



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