ヴラディスラフ2世とは? わかりやすく解説

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ヴラディスラフ2世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/28 15:28 UTC 版)

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ヴラディスラフ2世
Vladislav al II-lea
ワラキア
在位 1447年 - 1448年
1448年 - 1456年

死去 1456年8月20日
子女 ダン3世
王家 ダネシュティ家
王朝 バサラブ朝
父親 ダン2世英語版
宗教 キリスト教正教会
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ヴラディスラフ2世Vladislav al II-lea , ? - 1456年8月20日)は、15世紀ワラキア公国の公(1447年 - 1448年1448年 - 1456年)。ブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』のモデルとなったヴラド3世(ヴラド・ツェペシュ)とワラキア公位を巡って争った。

生涯

バサラブ朝ダネシュティ家のワラキア公・ダン2世英語版の息子として生まれた。1447年、ハンガリー王国摂政兼トランシルヴァニア侯・フニャディ・ヤーノシュの軍がワラキアに侵攻し、ドラクレシュティ家のワラキア公・ヴラド2世を破る。ヴラド2世と彼の長子・ミルチャ2世は自国の有力者らに裏切られて殺害され、フニャディの推すヴラディスラフがワラキア公に即位した。ヴラディスラフは、1448年10月17日から19日にかけて、フニャディ指揮下のキリスト教同盟軍とオスマン帝国軍の間で戦われた第二次コソヴォの戦いに8000名の軍を率いて参戦して敗北したが、その戦いぶりの評価を巡ってフニャディとヴラディスラフの間で不和が生じた。それからまもなく、オスマンの人質になっていたヴラド2世の次男ヴラド3世が解放されてワラキア公位に就いたが、ヴラディスラフは2ヶ月で公位を奪還した。敗れたヴラド3世は、母方の叔父ボクダン2世が治めるモルダヴィア公国に、ボグダン2世が暗殺された後はフニャディの根拠地であるトランシルヴァニアへと逃れた。

次第に圧力を強めるオスマンに対して、1451年11月20日、ヴラディスラフは、三年間の和平を保つ条約を締結し、貢納金の支払いも確約した。また、オスマンとの貿易促進のために、オスマンのアスパー銀貨のワラキア国内流通を認めるように貨幣制度を改めた。このようなオスマン迎合政策は後援者であるフニャディの不興を買い、トランシルヴァニア内のワラキア公伝来の所領であったアムラシュ及びファガラシュを没収された。両所領は、トランシルヴァニアに滞在しながらワラキア公位を狙うヴラド3世に与えられた[1]。ヴラディスラフは、ヴラド3世の暗殺を図ったが失敗した。

1456年8月20日、フニャディの後押しを受けたヴラド3世の軍に敗北し、死亡した。ヴラディスラフの遺児[2]ダン3世はトランシルヴァニアに滞在し、ワラキア公位を狙ったが、これも1460年にヴラド3世に敗れて処刑された。

参考文献

  • 清水正晴『ドラキュラ公 ヴラド・ツェペシュ』現代書館、1997年。
  • レイモンド・T・マクナリー、ラドゥ・フロレスク『ドラキュラ伝説―吸血鬼のふるさとをたずねて』角川書店、1978年。
  • ニコラエ・ストイチェスク『ドラキュラ伯爵 ルーマニアにおける正しい史伝』鈴木四郎・鈴木学訳、中央公論社中公文庫〉、1988年(後に改版、中央公論新社、2002年)。

脚注

  1. ^ 『ドラキュラ公 ヴラド・ツェペシュ』、129頁
  2. ^ 『ドラキュラ公 ヴラド・ツェペシュ』、146頁
先代:
ヴラド2世
ワラキア公
1447年 - 1448
次代:
ヴラド・ツェペシュ
先代:
ヴラド・ツェペシュ
ワラキア公
1448年 - 1456年
次代:
ヴラド・ツェペシュ



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