ヴラジーミル・フェルツマンとは? わかりやすく解説

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ヴラジーミル・フェルツマン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/31 00:30 UTC 版)

ヴラジーミル・フェルツマン
ヴラジーミル・フェルツマン (1987年)
基本情報
生誕 (1952-01-08) 1952年1月8日
ソビエト連邦
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国モスクワ
出身地 ソビエト連邦 アメリカ合衆国
学歴 モスクワ音楽院
ジャンル クラシック音楽
職業 ピアニスト
担当楽器 ピアノ
公式サイト 公式HP(英語)

ヴラジーミル・オスカロヴィチ・フェルツマンロシア語: Владимир Оскарович Фельцман, ラテン文字転写: Vladimir Oskarovich Feltsman, 1952年1月8日 - )は、ロシア出身のピアニスト

経歴

1952年モスクワ生まれ[1]。父は作曲家オスカー・フェルツマン。11歳の時、モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団との共演でデビューを果たした。1967年プラハのコンチェルティーナ国際コンクールで優勝。モスクワ音楽院に入学し、ヤコフ・フリエールの下で学んだ。1971年、パリで開かれたロン=ティボー国際コンクールで優勝。

1979年、当時のソビエト連邦のイデオロギーや芸術に対する政府の統制に不満を募らせ、ソ連からの出国を申請した。これを受けて、公の場で演奏することが禁止された。その後、ようやく8年後にソ連からの出国許可が下りた。1987年にアメリカへ移住し、その後1995年にアメリカ国籍を取得した。マネス音楽院とニューヨーク州立大学で教鞭をとり、国際フェスティバル・インスティテュート・ピアノ・サマーを設立。1995年に米国市民権を取得して以来、妻のヘウォンと共にニューヨーク州北部に居住している。アメリカを中心に演奏活動を行っており、現在までに、ニューヨーク・フィルハーモニックロンドン交響楽団シンガポール交響楽団ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を含む国際的に著名なオーケストラとの共演歴を持つ。

ヴラディミール・フェルトマンはフォルテピアノでの演奏が多く、アントン・ワルター製フォルテピアノのレプリカでモーツァルトのソナタ全曲を演奏したほか、ベートーヴェンピアノ協奏曲第5番やモーツァルトのピアノ協奏曲第27番を演奏している。

録音には、バッハの鍵盤作品の6組のアルバム、ベートーヴェンの後期の5つのピアノソナタ、シューベルトショパンリストブラームスのピアノ曲、バッハ、ショパン、チャイコフスキーラフマニノフプロコフィエフの協奏曲などがある。

脚注

  1. ^ 吉澤ヴィルヘルム『ピアニストガイド』青弓社、印刷所・製本所厚徳所、2006年2月10日、156ページ、ISBN 4-7872-7208-X

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