ヴォージと阿波丸事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/24 17:15 UTC 版)
「リチャード・G・ヴォージ」の記事における「ヴォージと阿波丸事件」の解説
「阿波丸事件」も参照 1945年4月1日にアメリカの潜水艦クイーンフィッシュ (USS Queenfish, SS-393) が日本の緑十字船阿波丸(日本郵船、11,249トン)を撃沈したいわゆる阿波丸事件に関しては、ヴォージはロックウッドと同じように阿波丸の動きが、対潜機雷堰にアメリカ潜水艦を呼び込むかのように見えて疑念を示した。また、阿波丸を撃沈したクイーンフィッシュの艦長のチャールズ・E・ラフリン少佐(アナポリス1933年組)については、「生存者を探していたわけだから、故意にやったわけではなかろう」という見解を示し、さらにはラフリン少佐を海軍における司法制度や日米双方からのあらゆる錯誤から来る誤解が生んだ犠牲者であると位置づけ、ロスコーとともに手段を尽くして事件を曖昧にすることに力を注いだ。南カリフォルニア大学のロジャー・ディングマン教授は、ヴォージがラフリン少佐を「純粋な英雄に仕立て上げた」張本人としている。 ちなみに潜水艦宛の電文は上述のようにヴォージを介して送信されており、ヴォージは単に電文に目を通すばかりでなく自ら電文を起草することもあったが、阿波丸事件直前に関して言えば、ヴォージはフィリピンへ出張中で司令部には不在であり、副官が電文を起草した。副官が起草した電文はヴォージのものと比べて要点が抜けているなど拙いものだったらしく、電文を読んだラフリン少佐はこうつぶやいたという。「生まれてから、こんなあほうな電文は見たことがない」。
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