ワーテルロー後と晩年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/10 06:32 UTC 版)
「アウグスト・フォン・グナイゼナウ」の記事における「ワーテルロー後と晩年」の解説
戦争終結後、グナイゼナウはコプレンツ軍司令官に任命され、旧知のカール・フォン・クラウゼヴィッツを参謀長に取り立てた。グナイゼナウは軍務をこなしつつ、意欲的な献策をベルリンへ送り続けた。しかし、献言は入れられず、むしろフリードリヒ・ヴィルヘルム3世は反動的な政治を行うようになった。1816年7月、失望したグナイゼナウは退官、王はザクセンの荘園を下賜した。1818年、グナイゼナウはベルリンの知事となり、同時に国会議員になった。1825年、ワーテルローの戦勝10周年を記念して、グナイゼナウに陸軍元帥の位が与えられた。 1831年、ポーランドに反乱の気配が現れると、グナイゼナウは辺境の軍司令官に任命された。この時、グナイゼナウは再びクラウゼヴィッツを参謀長に取り立てた。しかし、老齢のグナイゼナウに軍務は厳しく、ポズナンに駐屯している際にコレラに感染し、1831年8月23日に亡くなった。
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