ワーテルロー以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/03/22 21:27 UTC 版)
ワーテルローの戦いが交わされた1815年6月18日から19日にかけて、この辺りではワーヴルの戦いが起きた。退却するヨハン・フォン・ティールマン将軍麾下のプロイセン軍をエマニュエル・ド・グルーシー麾下のナポレオン勢が追撃したもので、ほど近いワーテルローから砲撃音が聞こえるなか、グルーシーは上官の命にしたがい、この地で独自に戦い抜いた。グルーシーが戦い終えたとき、ナポレオンはすでにワーテルローを失していた。 19世紀には鋳造、製紙、製糖をはじめとする工業が発達した。20世紀の二度にわたる大戦では激しい空襲、空爆、放火で甚大な被害が出た。1995年に新しいブラバン・ワロン州の州都となった。
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