ワンダフル・トゥナイトとは? わかりやすく解説

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ワンダフル・トゥナイト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/02 22:23 UTC 版)

ワンダフル・トゥナイト
エリック・クラプトンシングル
初出アルバム『スローハンド
B面 ピーチズ・アンド・ディーゼル(Peaches And Diesel)
リリース
規格 45 rpm シングル
録音 1977年5月
ジャンル ロック
時間
レーベル RSOレコード
作詞・作曲 エリック・クラプトン
プロデュース グリン・ジョンズ
エリック・クラプトン シングル 年表
レイ・ダウン・サリー/
コカイン
ワンダフル・トゥナイト/
ピーチズ・アンド・ディーゼル
プロミシズ (Promises)/
ウォッチ・アウト・フォー・ルーシー (Watch Out For Lucy)
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ワンダフル・トゥナイト」(Wonderful Tonight)は、エリック・クラプトン1977年に発売のアルバムスローハンド』に収録され、翌年にリカット・シングルとなった楽曲。パティ・ボイドについて書かれたものであり、このことはボイドの自叙伝的著書『ワンダフル・トゥナイト:ジョージ・ハリスン、エリック・クラプトン、アンド・ミー』(Wonderful Tonight: George Harrison, Eric Clapton, and Me)内で触れられている。

1976年9月7日に、ポール・マッカートニーリンダ夫妻が毎年開催するバディ・ホリー パーティに出席するためにパティ・ボイドが身支度を整えるのを待つ間に、クラプトンは彼女のために、この曲を作り上げた。ボイドは、「長年この歌は私を苛んだわ。エリックを、そして彼の前にはジョージをその気にさせてこんな音楽を書かれたら舞い上がるほどに嬉しかったわ。『ワンダフル・トゥナイト』は私たちの関係が全てうまくいっていたことを最も強烈に思い起こさせてくれる歌だったの。物事が悪い方向へ行き始めてからこの歌を聞くのは拷問を受けるようなものだったわ。」と語る[1]

1988年にクラプトンは、ネルソン・マンデラ70歳記念コンサート(Nelson Mandela 70th Birthday Tribute)でダイアー・ストレイツのゲスト・ギターリストとして出演した。ダイアー・ストレイツは、自分達の出番の間にサプライズ曲として演奏された「ワンダフル・トゥナイト」で、クラプトンのバックバンドを務めた。

カバー版

ドラマ しあわせの決断

  • 1992年1月から3月期にフジテレビ系で放送されたドラマ「しあわせの決断』の主題歌として使用された。

劇伴音楽としてインストールメンタルのエレキギターバージョンとオーケストラバージョンがある。いずれも渡辺博也の編曲でドラマで使用された。いずれのバージョンも、ドラマのオリジナルサウンドトラックと渡辺博也が音楽を担当したドラマの劇伴音楽を収録したオムニバスアルバムの「サウンドトラックスフォーラバーズ」にてCD化されている。(現在は、いずれも廃盤)

出典

外部リンク


ワンダフルトゥナイト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/03 04:33 UTC 版)

ワンダフルトゥナイト
欧字表記 Wonderful Tonight
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 2017年3月7日(5歳)
Le Havre
Salvation
母の父 Montjeu
生国 フランス
生産者 Ecurie La Cauviniere
馬主 Christopher Wright
調教師 David Menuisier(イギリス
競走成績
生涯成績 11戦6勝
獲得賞金 596,203ユーロ
勝ち鞍
G1 ロワイヤリュー賞 2020年
G1 英チャンピオンズF&MS 2020年
G2 ハードウィックS 2021年
G2 リリーラントリーS 2021年
G3 ミネルヴァ賞 2020年
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ワンダフルトゥナイトは、フランスで生産され、イギリスで調教されていた競走馬である。

主な勝ち鞍は2020年ロワイヤリュー賞ブリティッシュ・チャンピオンズ・フィリーズ&メアズステークス

戦績

2歳(2019年)

10月25日ドンカスター競馬場の未勝利戦(芝8ハロン)でデビューし3着。11月22日サンクルー競馬場の未勝利戦(芝2000m)で初勝利を飾る。

3歳(2020年)

6月13日のアビンドンフィリーズステークス(L)から始動したが4着。続く7月23日のティベルヴィル賞(L)でも2着に敗れるも、8月16日のミネルヴァ賞(G3)を制して重賞初制覇を挙げる。

G1初挑戦となった9月13日のヴェルメイユ賞では勝ち馬タルナワから4馬身差の5着に敗れたが、10月3日のロワイヤリュー賞では道中2・3番手追走から直線入り口で先頭に立つと後続に1馬身1/4差つけG1初制覇となった[1]。10月17日のブリティッシュ・チャンピオンズ・フィリーズ&メアズステークスでは道中好位追走から早めに抜け出すと最後はダムマリオットに2馬身半差をつけG1競走2連勝となった[2]

4歳(2021年)

6月19日のハードウィックステークス(G2)で復帰。レースでは4番手追走から残り2ハロンで先頭に立つと、ブルームに1馬身半差をつけ快勝する[3]。その後、キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスに出馬登録を行っていたが馬場状態が合わずレース当日に回避。7月31日のリリーラントリーステークス(G2)では2番手追走から直線入口で先頭に立ち、最後方から追い込んできたトライバルクラフトに2馬身差をつけて勝利した[4]。8月19日のヨークシャーオークスではスノーフォールの4着に敗れ、連勝は4でストップした。その後、9月12日のフォワ賞に出走予定であったがレース2日前に球節骨折が判明、現役を引退し繁殖牝馬となる[5]

血統表

ワンダフルトゥナイト血統 (血統表の出典)
父系 ブラッシンググルーム系

Le Havre
2006
父の父
Noverre
1998
Rahy Blushing Groom
Glorious Song
Danseur Fabuleux Northern Dancer
Fabuleux Jane
父の母
Marie Rheinberg
2002
Surako Königsstuhl
Surata
Marie d'Argonne Jefferson
Mohair

Salvation
2007
Montjeu
1996
Sadler's Wells Northern Dancer
Fairy Bridge
Floripedes Top Ville
Toute Cy
母の母
Birdie
1999
Alhaarth Unfuwain
Irish Valley
Fade Persepolis
One Over Parr
母系(F-No.) (FN:4-o)


脚注

外部リンク





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