ローマ帝国~イスラームの征服
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 15:56 UTC 版)
「エルズルム」の記事における「ローマ帝国~イスラームの征服」の解説
当初、街の名称はテオドシオポリス(Theodosiopolis)であった。これは、東ローマ皇帝テオドシウス2世にちなんだものであり、彼の治世である415年頃に設けられた。いわゆる「絹の道」の途上にあるテオドシオポリス(エルズルム)は、交易・軍事戦略上重要な役割を果たしており、たびたび諸勢力による争奪の的になった。6世紀初頭には一時サーサーン朝ペルシアによって占領された。また、7世紀に成立したイスラーム教の勢力にも一時は征服された。彼らはこの都市を「Kalikala」と称した。11世紀になるとセルジューク朝に征服され、「Arzen Erzen」と称されるようになった。この地域がかつてローマ帝国(ビザンツ帝国)の統治下にあったことを示す「Rum」と結びつき、「Arzen Erzen al-Rum」が変化して現在の都市名に至ったと考えられている。その後、ルーム・セルジューク朝、イル・ハン朝へと受け継がれた。
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