ロマン・クラムシュティクとは? わかりやすく解説

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ロマン・クラムシュティク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/27 13:19 UTC 版)

ロマン・クラムシュティク
Roman Kramsztyk
1932年のロマン・クラムシュティク
生誕 (1885-08-18) 1885年8月18日
ワルシャワ
死没 1942年8月6日(1942-08-06)(56歳没)
ワルシャワ
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ロマン・クラムシュティクの1941年の素描「子供を連れたユダヤ人老人」(1941)

ロマン・クラムシュティクポーランド語:Roman Kramsztyk, 1885年8月18日 - 1942年8月6日)は、ポーランド画家である。肖像画寓意画ヌードを描いた。ユダヤ系画家で、第二次世界大戦中にドイツ側の兵士にワルシャワで射殺された。

略歴

ロシア帝国の支配下のワルシャワのユダヤ系家族にの生まれた。ワルシャワのゾフィア・スタンキェヴィチ (Zofia Stankiewicz: 1862-1955)やアドルフ・エドヴァルト・ヘルシュタイン(1869-1932)、ミウォシュ・コタルビンスキ( Miłosz Kotarbiński: 1854-1944)に学び、1903年から1904年の間はクラクフ美術アカデミーでユゼフ・メホフェル (1869-1946)に学んだ。ミュンヘン美術院で修行を続け、1904年からヨハン・カスパー・ヘルテリッヒに学んだ。1910年から1914年の間はパリで修行した。1908年のサロン・ドートンヌに出展し、その後アンデパンダン展などに出展した。

第一次世界大戦中は、ポーランドに帰国し、1918年に美術家グループ「Nowa Grupa」のメンバーとなった。ワルシャワでヘルシュタインらと活動し、1922年に美術家グループ「Rytm」の共同創設者になった。その後パリを拠点に活動するようになり、ポーランドでの展覧会のため、年に一度ほど、ポーランドに戻る生活を続けた。1937年パリ万国博覧会や、1939年ニューヨーク万国博覧会[1]など各国の展覧会に参加した。

1939年の帰国中に第二次世界大戦が勃発し、ワルシャワ・ゲットーに留まることにし、ゲットーで、ホロコースト時代のユダヤ人の貧困や、飢餓、死を描いた素描を残した。1942年ドイツ軍部隊によるゲットーの掃討中に、ドイツ軍の指揮されたアンドレイ・ウラソフの「ロシア解放軍」の隊員によって射殺された[2]

作品

脚注

  1. ^ gem. Irena Kossowska, ausführliche Biografie (Memento des Originals vom 6. Januar 2011 im Internet Archive)
  2. ^ Gem. Andrzej M. Kobos, Malarstwo polskich Żydów, Roman Kramsztyk

参考文献

  • Władysława Jaworska, Agnieszka Morawińska u. a., Malarstwo polskie w kolekcji Ewy i Wojciecha Fibakow (Polish painting in the Ewa and Wojtek Fibak Collection), Verlag Auriga, ISBN 83-221-0623-8, Warschau 1992, S. 140ff.
  • Urszula Makowska: Kramsztyk, Roman. In: Allgemeines Künstlerlexikon. Die Bildenden Künstler aller Zeiten und Völker (AKL). Band 81, De Gruyter, Berlin 2014, ISBN 978-3-11-023186-1, S. 472 f.



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