ロバート・シムソン
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ロバート・シムソン | |
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Robert Simson
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生誕 | 1687年10月14日 |
死没 | 1768年10月1日 (80歳没) グラスゴー大学の寮 |
国籍 | イギリス |
研究分野 | 数学、幾何学 |
研究機関 | グラスゴー大学 クライスト病院 |
出身校 | グラスゴー大学 |
主な指導学生 | コリン・マクローリン マシュー・スチュワート ウィリアム・トレイル ジェームス・ウィリアムソン |
主な業績 | シムソン線 |
プロジェクト:人物伝 |

ロバート・シムソン(英: Robert Simson、1687年10月14日 - 1768年10月1日)は、 スコットランドの数学者、グラスゴー大学の数学教授。シムソン線の由来として知られる[1]。
経歴
1687年、グラスゴーの商人のジョン・シムソン(John Simson)と、レンフルーの教役者であったパトリック・シンプソン(Patrick Simpson)の娘アグネス(Agnes)の17人の息子の長男に生まれた(17人のうち成人に至ったのは6人)[2][3][4]。
1701年、シムソンは教会に入るために、グラスゴー大学に入学した。ラテン語、ギリシャ語、論理学、自然哲学のコースを進み、特に神学とセム語を集中的に研究した[2]。 大学で数学を教わることはしなかったが、ジョージ・シンクレアの Tuyrocinia Mathematica in Novem Tractatus とエウクレイデスの Elements を読んで、数学、特に幾何学に深い興味を示した。大学の理事長が、(その当時解雇されたシンクレアの後任として)数学の学部長の座を与えるほど、彼の熱量は大きかった。しかし、シムソンは数学分野における正式な養成を受けていなかったので、学部長を辞退した。ただし、1年後にその席を引き受け、数学の知識を増やすことを決めている。
オックスフォード大学への進学に失敗した後は、ロンドンのクライスト病院で過ごした。この間シムソンは、ジョン・キャズウェルやジェームス・ジュリン(王立協会の幹事)、ハンフリー・ディットン、エドモンド・ハレーなどの著名な数学者と貴重な接点を作った[2]。
1711年11月20日、シムソンは23歳にしてグラスゴー大学で教授になった。シムソンの最初の仕事は、数学の第2学年のコースを設計する事であった。いくつかの授業で彼は、自ら教鞭を執ることもあった。彼の講演には幾何学、代数学、対数、光学などがあった。この間の彼の指導学生に、コリン・マクローリン、マシュー・スチュワート、ウィリアム・トレイルなどがいる。1761年、彼は自身の職務を辞め、その地位を彼の弟子の1人であるジェームズ・ウィリアムソンに引き継いだ[5]。
グラスゴーにいた間の1753年、シムソンは隣接するフィボナッチ数の比がある割合(黄金比
シムソンの数学への貢献は、古代幾何学者の作品への、批判的な編集と解説の形式をとっている[7]。最初の著作物は、フィロソフィカル・トランザクションズでの、Porisms に関する論文だった(1723年, vol. xl. p.330)。
その後1735年、エディンバラで Sectionum conicarum libri V. が出版された(第二版は1750年出版)。 この専門書の第3巻は The Elements of the Conic Sections として何度か英語に訳されている。1749年、パップスの Mathematical Collection の7番目の本の補題をもとに、ペルガのアポロニウスの失われた専門書を復元した Apollonii Pergaei locorum planorum libri II. を出版した。
1756年、ラテン語と英語でユークリッド原論の最初の6巻、11巻、12巻の訳本を出版した。1762年に出版された英語版には Data の項も加えられ、長い間イギリスで、エウクレイデスの書籍の標準になった。
シムソンの死後、アポロニウスの専門書 De section determinata とエウクレイデスの専門書 De Porismatibus の復元が Roberti Simson opera quaedam reliqua という題で、1776年にスタンホープ伯爵によって私的に出版された。この巻は卒業論文 Logarithms and on the Limits of Quantities and Ratios と古代の幾何学的解析の説明の問題も収録している[12]。
出典
- ^ Robert Simson. University of Glasgow (multi-tab page)
- ^ a b c Sneddon. “Simon, Robert”. Encyclopedia.com. 2023年4月27日閲覧。
- ^ Tweddle gives the date as 18 October in "Simson, Robert". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/25606。 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
- ^ Simpson, Helen A (1927). Early Records of Simpson Families in Scotland, North Ireland, and Eastern United States. Philadelphia: J. B. Lippincott Company I 2023年4月29日閲覧。
- ^ “Mathematics in Glasgow University in 1883”. 2024年8月18日閲覧。
- ^ Rankin, R A (1995年8月). “Robert Simson”. MacTutor. 2023年5月1日閲覧。
- ^ a b "Simson, Robert". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/25606。 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
- ^ “Sketch of the life of Dr Robert Simson, of Glasgow”. The Ardrossan and Saltcoats Herald: p. 3. (1865年2月4日)
- ^ “Archives and Special Collections: Simson Collection”. University of Glasgow. 2023年4月30日閲覧。
- ^ “Simson Monument”. The Ardrossan and Saltcoats Herald. (1865年10月4日)
- ^ “Robert Simson's Memorial”. Ayrshire & Arran. 2023年4月30日閲覧。
- ^ Simson, Robert; Clow, James. Opera quaedam reliqua etc.. Glasguae: Andreas Foulis 2023年5月1日閲覧。
参考文献
- William Trail (1812) Life and Writings of Robert Simson - Google ブックス
- Charles Hutton (1815) Mathematical and Philosophical Dictionary, volume II, p. 395-398 (online copy, p. 395, - Google ブックス)
外部リンク
- Robert Simson, The Elements of Euclid... Errors Corrected... also The Book of Euclid's Data... Corrected 12th ed. (1804)
- Robert Simson's biography at MacTutor archive. シムソンの性格や顔を銃撃されたことについても言及されている。
- Simson's line from Cut-the-Knot
- A Scottish sundial erected by Robert Simson at Kirktonhall, West Kilbride.
- The Memorial to Robert Simson in West Kilbride
- ロバート・シムソンのページへのリンク