ロッシーニのためのレクイエム
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「レクイエム (ヴェルディ)」の記事における「ロッシーニのためのレクイエム」の解説
ヴェルディが宗教曲を手がけるのは、この「レクイエム」が最初ではなかった。オペラ作曲家として身を起こす以前の1830年代前半、故郷ブッセートの教会のためにいくつかの作曲を行っていることが知られている。ただしその殆どは散逸し、演奏されることはない。 またヴェルディは1868年に死去した大オペラ作曲家ジョアキーノ・ロッシーニを記念する「ロッシーニのためのレクイエム」を協同で作曲することを他のイタリア人作曲家(ヴェルディを除いて12人)に提案している。専門委員会が組織され、演奏日時はその一周忌にあたる1869年11月13日に、会場はロッシーニの育ったボローニャのサン・ペトロニオ教会に、と決定した。ヴェルディ自身は(彼自身が半ば強引に決定した)自分の担当部分「リベラ・メ」をいち早く作曲したが、他作曲家が遅れがちであったこと、ボローニャの歌劇場支配人が無給の奉仕公演に難色を示し、通常のオペラ公演を優先する態度をとったことなどが原因となって計画は難航した。その後場所を改めてミラノで演奏する、あるいは日時を繰り延べてボローニャで演奏する、などの打開策が検討されたが、最終的にはこの「ロッシーニ・レクイエム」計画は放棄された。 なおこの時に制作されたスコアは長らく散逸されていたと思われていたが、ヴェルディ全集の共同編集者であるデイヴィッド・ローゼンによって発見され、1998年に初演された。
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