ロケット科学者としての一面
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/31 08:34 UTC 版)
「ニコライ・キバリチチ」の記事における「ロケット科学者としての一面」の解説
逮捕され、処刑されるまでの17日間に、キバリチチは、火薬を連続的に爆発させることによって推力を得て飛行する構想のメモを残した。このメモは拘置所当局に渡され、キバリチチはこのメモを専門家に渡して検討してもらうことを望んだが、このメモが世にでたのは革命後で、1917年にニコライ・リーニン(Nikolai Rynin)が発見し、1918年に、雑誌『ブィロエ』に掲載された。宇宙旅行のパイオニアの1人と評価された。なお、ロケットのアイデアは独立して1891年にドイツの技術者、ヘルマン・ガンスヴィント(Hermann Ganswindt)が発表している。こののち、キバリチチの功績をたたえるため、月のクレーターにキバリチチの名前が命名された。
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