レニングラード攻撃へのドイツの圧力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/03 08:40 UTC 版)
「フィンランドのカレリア地峡再占領」の記事における「レニングラード攻撃へのドイツの圧力」の解説
8月20日、マンネルハイムは、司令部駐在のドイツ軍代表エルファース(W. Erfurth)大将からヴィルヘルム・カイテル元帥がフィンランド軍がレニングラードを攻撃するかどうかを問うた書簡を出すだろうとの知らせを受けた。 ドイツ軍によるレニングラード占領は、フィンランドにとっても望ましい事であったが、フィンランド軍が直接レニングラード攻撃に参加する事は、国内的にも対外的にも問題が大きかった。政府はあらかじめフィンランド軍はレニングラードを攻撃しないことを決定しており、連立与党でもある社会民主党は特に1939年国境を越えることに反対していた。政府は軍の要請に基づいて、防御しやすい地点を確保するために、旧国境線から少しだけ前進することを許可した。 カイテルの手紙を受け取ってから、大統領であるリュティと総司令官マンネルハイムは両方とも否定的な返事を用意した。8月31日、エルファースはマンネルハイムと接触し、フィンランドは東カレリアへの攻撃をやめて、レニングラードに攻撃を行うべきだと再度提案した。しかし、リュティとマンネルハイムはこの案をお断りにした。
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