レナウン宣伝部へ、そして「ワンサカ娘」の誕生
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映画監督になる夢を描いて、映画会社への就職を目指したがすべて不合格の憂き目にあう。1956年、当時はまだ衣料品卸の小企業であったレナウン商事に入社し、宣伝課に配属された。配属後は、コピーライターやPR雑誌の編集などの担当を経て、当時、黎明期にあったテレビの宣伝を担当することとなった。 レナウンはラジオでの宣伝も担当していたが、有名作曲家にCMソングを依頼するもいずれも不発の中、社長から新人作曲家の発掘の特命が下った。同じ宣伝課のイラストレーターであった小林みづえ(川村みづえ、現在もイラストレーターとして活躍中)から、彼女の兄が作曲家であることを知り、当時まだ無名であった小林亜星にCMソングの作曲を依頼することにしたが、これが、TVCMにおけるエポックメーキングな成功を生むこととなる。 はじめてCMソングに携わった小林亜星が作曲した20曲の中から選ばれた「ワンサカ娘」は、テレビ放映後、レナウンの企業イメージを強くアピールすることとなる。好評を博したこの曲を、毎年、歌手を変えて放映することとし、かまやつひろし、デュークエイセス、ジェリー藤尾、弘田三枝子、シルビー・ヴァルタンに歌い継がれた。中でも、シルビー・ヴァルタンが歌ったTVCMは、1966年のACC金賞、全米CMフェスティバルの最高賞を受賞するなど、CMソングとしての域を超え、現在でも1960年代の郷愁を駆り立てる曲として歌い継がれている。
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