レオン・デグレルとレクシズム
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「第28SS義勇擲弾兵師団」の記事における「レオン・デグレルとレクシズム」の解説
1930年代、ベルギー王国のフランス語圏であるワロン地域で大小様々な規模のファシズム団体が発足した。その中でも特に名を馳せたのが、カトリック系出版社の経営者レオン・デグレル(Léon Degrelle)が1935年11月2日に活動を開始したレクシズム(Rexisme)という反共政治団体であった。レクシズムはドイツにおける国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の隆盛ぶりに感化されてベルギー国内で同様の変化を求め、ワロン人の独立国家設立のために活動した。 1940年5月10日、ドイツが西方戦役の一環としてベルギー侵攻を開始した時、ベルギー当局はかねてから親独・親イタリア的であったデグレルをベルギーの潜在的な敵と見なし、彼を逮捕した。デグレルは同様に逮捕されたレクシズム関係者ともどもフランスへ送られ、そのうち21名が銃殺されたにもかかわらず、奇跡的にも処刑を免れた。後にデグレルはスペイン国境付近のル・ヴェルネ収容所(Vernet d'Ariège)に収監されたが、フランスがドイツに降伏した後の1940年7月20日にドイツ軍によって解放された。 ドイツ軍占領下のベルギーに戻ったデグレルはレクシズムの活動を再開し、ワロン人の独立のための活動に着手した。もっとも、デグレルの努力にもかかわらず、ドイツはゲルマン民族であるフラマン人(ベルギーのフランデレン地域の住民)の独立を支援していたため、非ゲルマン民族であるワロン人が主体のレクシズムを重要視していなかった。
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