ルノーターボマシン開発への尽力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 02:25 UTC 版)
「ジャン=ピエール・ジャブイーユ」の記事における「ルノーターボマシン開発への尽力」の解説
元々スポーツカーや下位フォーミュラーでルノーと縁があり、実績を残していたジャブイーユは、その後ルノーのF1プロジェクトにおけるドライバーに抜擢される。ルノーのエンジン部門だったベルナール・デュドらと開発し、1977年にはF1史上初のターボ車「RS01」が完成。タイヤ・ガソリンにもそれぞれフランスのミシュラン・エルフを使用するなど、フランス人のジャブイーユがドライブすることも含めた「オールフレンチ体制」が話題を集めた。 しかしエンジンはターボラグの酷さに加え、信頼性も低いものであった。初陣の1977年第10戦イギリスGPでは、予選21位に沈み決勝でもターボのトラブルでリタイヤ。1977年はこれを含め計5戦にエントリーしたが、リタイヤ4回・予選落ち1回と一度も完走出来なかった。 1978年は速さを獲得し、予選で3位グリッドを2度獲得するなど上位に食い込むようになる。第15戦アメリカ東GPでは、4位に入り自身及びチームにとっての初入賞を記録している。しかし信頼性の低さは変わらず、参戦した14戦中完走は4回であった。
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