リリー・ラスキーヌとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > リリー・ラスキーヌの意味・解説 

リリー・ラスキーヌ

(リリ・ラスキーヌ から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/28 02:42 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

リリー・ラスキーヌLily Laskine, 1893年8月31日 パリ - 1988年1月4日 パリ)は、フランスハープ奏者。日本では「ラスキーヌ」と呼ばれて親しまれたが、ロシア系のため本来は「ラスキン」姓である。

ユダヤ系ロシア人の両親の元に生まれる。音楽好きの一家に生まれ、幼くしてピアノの手ほどきを受けたが、やがてハープを1日に6時間も弾くようになる。1904年パリ音楽院に入学し、11歳のときと13歳のときに首席を受賞。第一次世界大戦中は、和声法のほかに舞踊声楽にも興味を示した。16歳でパリ・オペラ座管弦楽団にハープ奏者として入団、オペラ座の歴史上で初めて入団を許可された女性演奏家となる。

1934年フランス国立管弦楽団が創設されると、ハープの独奏者に任ぜられた。第二次世界大戦中は、多くのユダヤ人がフランスを去ろうとする中、マルセイユのパストレ城に匿われた。

1950年にハープ奏者としてエラート・レーベルと契約し、音楽活動が新たな局面を迎える。数々のレコードが世界中に送り出されたが、なかでも友人ジャン=ピエール・ランパルとともにパイヤール室内管弦楽団と共演した、モーツァルトの《フルートとハープのための協奏曲》の録音は、名盤として評価が高い。

演奏活動のかたわら、1948年から、レジオンドヌール勲章を受けた1958年まで、母校パリ音楽院ハープ科の教授も務め、また、さまざまな声楽家と共演してレコードや映像も遺した。コメディ・フランセーズのハープ奏者も30年以上にわたって務め上げている。

1993年より3年ごとにリリー・ラスキーヌ国際ハープコンクールが開催されており、上級部門およびジュニア部門の2コースがある。2008年に6回目を数え、長澤真澄が審査員の一人として務めている。

参考文献

  • Lily Laskine, Marielle Nordmann, Editions Cahiers du Temps (1999) ISBN 2911855159

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「リリー・ラスキーヌ」の関連用語

リリー・ラスキーヌのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



リリー・ラスキーヌのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのリリー・ラスキーヌ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS