ジャン=フランソワ・パイヤール
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ジャン=フランソワ・パイヤール | |
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ジャン=フランソワ・パイヤール(2007年)
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基本情報 | |
生誕 | 1928年4月12日 |
出身地 | ![]() マルヌ県ヴィトリ=ル=フランソワ |
死没 | 2013年4月15日(85歳没) |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | 指揮者 |
ジャン=フランソワ・パイヤール(Jean-François Paillard, 1928年4月12日 - 2013年4月15日[1][2])は、フランスの指揮者。
人物・来歴
マルヌ県ヴィトリ=ル=フランソワの出身。ソルボンヌ大学で数学を専攻した後、パリ音楽院でノルベール・デュフルクに音楽学を、ザルツブルクのモーツァルテウム音楽大学にてイーゴリ・マルケヴィチに指揮を師事するなどの教育を受ける。
1953年にジャン=マリー・ルクレール器楽アンサンブルを創立する。これが母体となって1959年にパイヤール室内管弦楽団が結成された。同楽団はバロック音楽や古典派音楽を専門としていたが、チャイコフスキーやドヴォルザークの弦楽セレナーデのようなロマン派音楽を稀に録音することもあった。パイヤールは後者を通じてエラート・レーベルに数々のバロック音楽を録音し、また欧米の各地で演奏旅行を行なった。パッヘルベルのカノンは1968年にリリースされたジャン=フランソワ・パイヤールの録音盤により、誰もが知る有名なクラシック音楽となった。
パイヤール室内管弦楽団と共演して音源を残したソリストに、モーリス・アンドレ、ジャン=ピエール・ランパル、ジェラール・ジャリ、リリー・ラスキーヌ、ピエール・ピエルロ、ジャック・ランスロらがいる。中でも、チェンバロのアンヌ=マリー・ベッケンシュタイナーは、パイヤール夫人である。
パイヤールはしばしばその他のアンサンブルにも客演指揮者として活躍し、また著述家としても活躍した。叢書『 Archives de la Musique Instrumentale 』の校訂者であり、また1960年には『フランス古典音楽 La musique française classique 』(渡部和夫訳・白水社クセジュ文庫)を出版している。
初来日は1968年10月で(当時のライヴCD「東京のパイヤール」がある)、以後、たびたび日本を訪れている。近年では2001年に来日し、水戸室内管弦楽団を指揮してドビュッシーやファリャ、オネゲルの作品を指揮した。日本のポップ/ロックの音楽シーンにおいてパッヘルベルのカノンのコード進行「カノン進行」が大流行し始めた1990年にパイヤール指揮、パイヤール室内管弦楽団演奏による日本の民謡・童謡集が日本コロムビアとBMG JAPANからリリースされている。
出典
固有名詞の分類
フランスの指揮者 |
ルネ・レイボヴィッツ ジャック・デラコート ジャン=フランソワ・パイヤール ジャン=バティスト・アルバン ミシェル・コロンビエ |
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