リュイスの聖ギルダス伝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/04 18:29 UTC 版)
最初に彼の記述が見受けられるのは名もなき文書の断片からである。そこにはギルダスはカウヌス族(Caunus、またはCawとも)の息子であり、アレクルタの生まれだと記されている。後に聖人となる聖サムソンとアウレリウスのパウルスとともに彼は聖ヒルドゥトゥス(聖イルトゥード)のもとで預けられ、教育を施された。後に彼はイレン(Iren)と呼ばれたアイルランド島に渡り、そこで勉学に努めた。司祭に任命されてからはブリテン島北部に渡り、異教徒への伝道に努めた。聖ブリジッドがギルダスにみしるしを所望したところ、彼は鈴を作りそれを授けたと言う。アイルランド全土の王アインメルクス(アインメレ、566年 - 569年)が彼に教会の秩序を再建するように求められると、かれはその通りにした。また彼はローマとラヴェンナを訪れた事もあると言う。 ブルターニュに赴くと彼はリュイスと呼ばれた島に居を構えると、そこで隠遁生活を営み、またこの地に彼は小礼拝堂を築いたと言われる。ブリテン島を去って10年後に彼は書簡集を認め、そこにはブリトン人の5人の王がいた事を記している。1月29日、彼はリュイス島で死去、彼の遺志に基づいて遺体は小船に乗せられ海に流された。3ヶ月の後にリュイス島の住人が彼の船を入り江で見つけたが、彼の遺体は生前のままであったと言う。そして彼らによって彼の遺体はリュイスに戻され、埋葬された。
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