リジェとミナルディ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 21:58 UTC 版)
「フラビオ・ブリアトーレ」の記事における「リジェとミナルディ」の解説
1994年末、ブリアトーレは疲弊したリジェ・チームを買収し、同チームの持っていたルノー・エンジンの権利を取得した。ルノーエンジン以外には興味のなかった彼は、チーム株式の50%をウォーキンショーに売却した(ただし残り半分は引き続き保有しリジェの共同オーナーとなった)。 ブリアトーレは引き続きベネトンの運営も取り仕切り、1995年にはコンストラクター(製造者)部門とドライバー部門(シューマッハ)のダブルタイトルを獲得した。しかし、シューマッハが1996年にフェラーリへ移籍し、ロリー・バーンやロス・ブラウンといった主要エンジニアが後を追うようにフェラーリに移籍すると、チームはグリッド中団へと沈んでいった。 ブリアトーレは1996年にミナルディの所有権の一部を購入したが、それをブリティッシュ・アメリカン・タバコに売却することができなかったため、共同所有者のジャンカルロ・ミナルディとガブリエレ・ルミに売却した。また同年にはリジェの株式もアラン・プロストに売却している。この頃本田博俊らと共同で、無限ホンダエンジンの外販を行う計画もあったが頓挫している(詳細は無限ホンダ・MF301Hを参照)。 ベネトンは1997年にブリアトーレを解雇し、後任にプロドライブのデビッド・リチャーズを採用した。
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