リジェでの苦闘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 00:26 UTC 版)
「ステファン・ヨハンソン」の記事における「リジェでの苦闘」の解説
1988年はフランスのリジェに移籍。チームメイトは皮肉にもかつてフェラーリのシートを「奪う」形になったアルヌーであった。チームはジタンたばこと国営くじのスポンサーからの潤沢な予算を持つ上に、ノンターボエンジンとしてはそれなりの性能を持つジャッドエンジンを搭載するものの、ミッシェル・テツがデザインしたJS31は、V8エンジンの前後をはさむように燃料タンクを2分割配置するという特殊な燃料タンクの位置からバランスを決定的に欠いた。 シーズン途中で数度の大幅改修が施されたものの、JS31に戦闘力は全く無く、「元フェラーリコンビ」2人共にノーポイントに終わったばかりか、しばしば予選落ちを喫するなど精彩を欠いた。 この年を境にヨハンソンはF1では十分な体制のチーム・マシンを得る事は無くなり、F1関係者からも「F1優勝経験が無い割にギャラが高い」と言う意見もあるなど「下り坂」を転げていくこととなる。
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