ラーメン店主時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/11 02:02 UTC 版)
たまたま通り掛かった西麻布の博多らぁめん「赤のれん」の味に惚れ込み、何度も弟子入りを志願する。「味を盗みにきたのか」と何度も追い返されるがめげずに通い続け3度目の懇願でやっと許され、赤のれんのアルバイトとして勤務する。当時、本間には2人の小さな子供がおり、そのうち1人は生まれたばかりの赤ちゃんであったが、すべての経歴を捨て最低時給のアルバイトとして働いていた。この事は当時の家族に内緒であったが、妻はすべてお見通しであったという。 37歳の時、大東通商株式会社からの出資を受け、赤のれんの業界拡大を図る。店舗名は「福のれん」と名称を変更し、当時としては珍しい『らぁめん居酒屋』という新業態として店舗拡大を図り、東京に博多ラーメンの文化を広めた。 48歳の時、18店舗まで拡大した福のれんは親会社にあたるマルハレストランシステムズに吸収され、それを機に福のれんから退職する。
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