ランド・バルトリーニとは? わかりやすく解説

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ランド・バルトリーニ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/28 23:29 UTC 版)

家族との写真

ランド・バルトリーニ: Lando Bartolini1937年4月11日 - 2024年6月28日)は、イタリアテノール歌手。

トスカーナ州プラート出身。マリオ・デル・モナコを彷彿とさせるドラマティックな声で、1970年代から2000年代まで世界的に活躍した。

経歴

フィラデルフィアAcademy of Vocal Artsバス歌手のニコラ・モスコーナに学び、1968年フィラデルフィアのセントジョセフ大学劇場でのプッチーニの『外套 (プッチーニ)』のルイージ役でデビューする。公式な経歴としては、1973年バルセロナリセウ大劇場マスカーニの『イリス (オペラ)』のオーサカ役でデビューとなる。

1976年ニューヨーク・シティ・オペラにマスカーニの『カヴァレリア・ルスティカーナ』のトゥリッドゥ役でデビューし、1982年にはミラノスカラ座ヴェルディの『エルナーニ』の題名役でデビュー。1985年にはウィーン国立歌劇場にプッチーニの『ラ・ボエーム (プッチーニ)』のロドルフォ役でデビューし、翌年4月には同歌劇場の日本公演でジュゼッペ・シノーポリ指揮のプッチーニの『マノン・レスコー』にデ・グリュー役で出演している。日本公演の直後にメトロポリタン歌劇場にプッチーニの『トスカ』でデビューするなど、世界的なリリコ・スピントとして活躍した。中でも1983年にヴェルディの『アイーダ』のラダメス役でデビューしたアレーナ・ディ・ヴェローナ音楽祭では、アイーダをはじめ、プッチーニの『トゥーランドット』のカラフやレオンカヴァッロの『道化師 (オペラ)』のカニオなどのスピントな役で1990年代まで常連として活躍した。

キャリアのハイライトとしては、1998年北京紫禁城で行われた、フィレンツェ五月音楽祭による『トゥーランドット』への出演が挙げられる。2002年には、65歳にして新国立劇場でのヴェルディの『イル・トロヴァトーレ』でマンリーコ役で出演するなど、キャリアの後年までドラマティックな声を維持し続けた。

2024年6月28日に亡くなった[1]。87歳没[2]

家族

兄のリーノ・バルトリーニは、ロッコ・モンターナの芸名で1962年のサン・レモ音楽祭にも出演した歌手だったが、1967年パルマでの交通事故で亡くなった。

録音

Hugaroton

  • Lando Bartolini "Great Tenor Arias"

Fonit Cetra

Naxos

Legato Classics

  • "Lando Live!" Lando Bartolini sings great tenor arias

脚注

  1. ^ Obituary: Tenor Lando Bartolini Dies at 87”. OperaWire (2024年6月28日). 2025年6月28日閲覧。
  2. ^ Prato dice addio a Lando Bartolini, tenore di fama mondiale | TV Prato” (イタリア語). www.tvprato.it (2024年6月28日). 2024年6月28日閲覧。



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