ランシット計画以後の開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/06 09:45 UTC 版)
「ランシット運河」の記事における「ランシット計画以後の開発」の解説
後になり、運河が徐々に浅くなってきたため、特に乾季において、十分に機能しなくなってきた。シャム運河灌漑会社は、契約内容に明記されている掘削者の課せられた運河を保全する義務を果たさなかった。その結果として多くの住民が転出していった。そこで1904年から、ランシット運河を政府に移管し、灌漑設備を完全に機能させるために開発することを検討し始めたが、1914年1月1日にシャム運河灌漑会社の持つ運河掘削独占権が失効するまでは、政府が手をつけることは不可能だった。ラーマ5世は、イギリス人の灌漑技術者Sir Thomas Wardの助言に従い、パーサック川の水を流すことでランシット周辺の生産量を維持するため、南パーサック計画を実施させた。計画は1915年に始められる予定だったが、それより先に第1次世界大戦が勃発したため計画は延期せざるを得なくなり、1920年に建設を開始、1922年に完成した。
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