ラブアン総督とは? わかりやすく解説

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ラブアン総督

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/29 08:55 UTC 版)

ラブアン総督
呼称 閣下
庁舎所在地 ヴィクトリア英語版
初代 ジェームズ・ブルック
設置 1848年
最後 シェントン・トーマス英語版
廃止 1946年

ラブアン総督(ラブアンそうとく)は、イギリス統治下にあったラブアン直轄植民地の長として置かれた行政責任者。

1848年から1890年まではロンドン英国政府により任命されたが、ラブアン植民地政庁が北ボルネオ会社監督下に移った1890年から海峡植民地に編入されることが決まった1906年(編入は翌1907年)までの間、北ボルネオ会社により任命された。

歴代総督(英国政府による任命)

氏名 就任 退任
ジェームズ・ブルック

1848年 1852年
ジョージ・ウォーレン・エドワーズ 1856年 1861年
トーマス・フィッツジェラルド・キャラハン英語版 1861年 1866年
ヒュー・ロー(代理) 1866年 1867年
ジョン・ポープ・ヘネシー英語版 1867年 1871年
ヘンリー・ブルワー英語版 1871年 1875年
ハーバート・アッシャー英語版 1875年 1879年
チャールズ・リース英語版 1879年 1881年
ピーター・レイス(代理) 1881年 1888年
アーサー・シャーリー・ハミルトン 1888年 1890年

歴代総督(北ボルネオ会社による任命)

北ボルネオ総督英語版旗(1890年 – 1903年)
北ボルネオ総督旗(1903年 - 1906年)
氏名 就任 退任
チャールズ・クレイ英語版 1890年 1895年
レスター・ビューフォート英語版 1895年 1899年
ヒュー・クリフォード英語版 1900年 1901年
アーネスト・バーチ英語版 1901年 1903年
エドワード・ペレグリン・ゲリッツ 1904年 1906年

歴代総督(海峡植民地総督による兼任)

海峡植民地総督英語版旗(1906年 - 1946年)
氏名 就任 退任
ジョン・アンダーソン英語版 1906年 1911年
アーサー・ヤング英語版 1911年 1920年
ローレンス・ギルマード英語版 1920年 1927年
ヒュー・クリフォード(再任) 1927年 1929年
ジョン・スコット英語版 1929年 1930年
セシル・クレメンティ英語版 1930年 1934年
シェントン・トーマス英語版 1934年 1941年
日本による占領にともなう中断
シェントン・トーマス(日本による占領終了後、復帰) 1945年 1946年

参考資料




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