ラニョーとの出会い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/09 04:46 UTC 版)
「レオン・ルテリエ」の記事における「ラニョーとの出会い」の解説
1887~88年頃、もう30歳近くになっていたルテリエはパリに上京し、リセ・ヴァンヴの高等師範学校受験準備クラスで哲学教師・ジュール・ラニョーの生徒となった。同様にラニョーの生徒だったアランより一回り近く年上だったが、アランのすぐ後の学年でラニョーの授業を受けた。ここでルテリエがとったラニョーの講義のノートがのちに哲学の歴史に残ることになった。リセ卒業後のルテリエはパリに居住を定める。 1891年ラニョーが教え子のポール・デジャルダン(フランス語版)と共に「倫理的行動同盟」を設立すると直ちに参加し、同年齢のデジャルダンと親交を結ぶ。師ラニョーはほどなくデジャルダンとの意見の違いから同盟を離脱したが協調するよう弟子に押しつけることはせず、ルテリエはデジャルダンに協力を続けた。 Clip パリ(1898)
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