ラグナ・セカでの事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/27 22:13 UTC 版)
「ケビン・マギー」の記事における「ラグナ・セカでの事故」の解説
レース後のクールダウンラップ、4位に入ったマギーはバーンアウトのパフォーマンスをおこない、タイヤスモークをあげていた。その煙でマギーのマシンが見づらくなっていたところにババ・ショバートが突っ込んでしまった。この事故でマギーは足を骨折(2戦欠場後に復帰)、そして重傷を負ったショバートはレーサーとしてのキャリアを終えることになってしまった。 また皮肉なことに翌1990年のアメリカGPでは、マギーは前年と同じ場所でクラッシュし、頭部に重傷を負って1シーズンを棒に振ることになった。1991年はスズキから2戦、チーム・ロバーツ・ヤマハから1戦のみの出場に終わった。1992年の日本GPには日本テレコム・ヤマハからワイルドカードでの参戦が予定されていたがフリー走行で転倒し欠場、そして1993年の日本GPにワイルドカード参戦したのがマギーにとって最後のGPレースとなった。
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