ライヒト・ゼルプストファール・カノーネとは? わかりやすく解説

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ライヒトゼルプストファールカノーネ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/24 03:08 UTC 版)

ライヒトゼルプストファールカノーネ
性能諸元
重量 初期:4.5トン
開発中:5.3トン増加
最終:武装・装甲込み7.9トン
懸架方式 リーフスプリング方式
主砲 3.7 cm砲または7.5 cm砲(中央搭載予定)
代替:7.7 cm FK 96 L/27 n.A.野砲
乗員 3 名(操縦手、砲手、装填手)
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ライヒトゼルプストファールカノーネ(Leichte Selbstfahrkanone、略称:L.S.K.)は、1920年代後半のヴァイマル共和国期ドイツで、クルップ社が開発した試作自走砲である。

概要

ヴェルサイユ条約による戦車開発禁止を回避するための秘密プロジェクトの一環として、軽量自走砲のシャーシを構築する目的で設計された。

第一次世界大戦中のクルップの小型突撃車(Kleiner Sturmwagen)の影響を強く受け、リアエンジン配置を採用した革新的なレイアウトを特徴とするが、サスペンションの信頼性不足などの技術的課題により、量産には至らなかった。

この車両のコンセプト、特にリアエンジン自走シャーシの設計思想は、後の小型トラクター(Kleinetraktor)プロジェクトに引き継がれ、1934年に量産されたI号戦車(PzKpfw I)の基礎を形成した。

開発経緯

1920年代中盤、ドイツ陸軍はヴェルサイユ条約の制約下で、戦車開発を「農業用トラクター」や「自走砲」などの名目で秘密裏に進めていた。

1927年10月、クルップ社は、第一次世界大戦中に自社で開発した小型突撃車(Kleiner Sturmwagen)の経験を基に、新たな自走砲マウントのプロジェクトを開始した。初期名称はモトーアラフェッテ(Motorlafette)で、後にL.S.K.(Leichte Selbstfahrkanone、軽自走砲)と改称された。

設計コンセプトの議論は約1年半に及び、リアエンジン・リアドライブ方式を採用する方向で固まった。これは、当時の標準的なフロントエンジン配置とは異なり、戦闘・操縦区画を前部に集中させる革新的なレイアウトであった。操縦席は前部右側に配置され、その直後に主砲を搭載する構造で、全体のシルエットを低く抑えることを目指した。このプロジェクトは、ラインメタル社の同時期の「ライヒトトラクトーア・ゼルプストファールカノーネ(Leichttraktor Selbstfahrlafette)」と競合関係にあり、L.S.K.の着手は「ライヒトトラクトーア(Leichttraktor)」より約6ヶ月早かった。

1929年、ドイツ陸軍から2輌の試作車製造契約がクルップ社に下りた。開発費は10,500ライヒスマルク、生産費は132,000ライヒスマルクと見積もられたが、翌年までに設計変更や材料費の高騰により総額が約170,000ライヒスマルクに膨張した。

試作車の組み立てはエッセン近郊のクルップ工場で行われ、1930年頃にクンマースドルフ射撃場での試験開始にこぎつけた。また、試験中の問題解決のため、サスペンションを改良した近代化版の開発も並行して進められた。

この時期のドイツ装甲開発は、ソビエト連邦との秘密協力(カザン実験場)のもとで進められており、L.S.K.もその一環として位置づけられた。

仕様

L.S.K.は試作段階の車両のため、詳細な仕様は限定的であるが、計画値と試験データから以下の特徴が知られている。

全体のアウトラインは、後の「クライネトラクトーア(Kleinetraktor)」に酷似しており、軽量設計を重視した。

  • 重量: 初期設計時4.5トン。開発過程で5.3トンの増加が発生し、武装・装甲を加えた最終重量は約7.9トンとなった。
  • 寸法: 全体高さを約1,300 mmに抑えるレイアウトを採用。長さ・幅の詳細は不明だが、コンパクトなシルエットを目指した。
  • 駆動方式: リアエンジン・リアドライブ(後部エンジン・後部駆動)。エンジン詳細は不明だが、「クライネトラクトーア(Kleinetraktor)」の60馬力エンジンを参考に同等出力が想定される。最高速度は不明(参考値:約40-45 km/h)。
  • サスペンション: リーフスプリング方式で、片側10輪の配置。試験で頻発した故障を防ぐため、近代化版では新設計のサスペンションを導入。
  • 武装: シャーシ中央に3.7 cm砲または7.5 cm砲を搭載予定。代替案として、旧式の7.7 cm FK 96 L/27 n.A.野砲の搭載も検討された。弾薬搭載数は限定的で、軽戦車駆逐や対歩兵支援を想定。
  • 装甲と防御: 薄装甲で、ライフル弾程度の防御力。開放式の戦闘区画を採用し、軽量化を優先。
  • 乗員と運用: 乗員3名(操縦手、砲手、装填手)。無線装備はなく、視界確保のための工夫が不足していた。
  • その他: 燃料・航続距離の詳細は不明。全体として、軽トラクター駆逐自走砲のコンセプトを体現したが、信頼性に課題を残した。

試験と失敗

L.S.K.の試作車は1930年頃、クンマースドルフ射撃場で本格的な試験を実施した。初期走行試験では、84 kmの走行後にサスペンションの深刻な故障が発生し、車両は工場に戻されて部品交換を余儀なくされた。しかし、この交換後も性能向上が限定的で、根本的な解決には至らなかった。主な問題点は以下の通り:

  • サスペンションの欠陥: 「ライヒトトラクトーア(Leichttraktor)」と共通のリーフスプリングサスペンションが、地形適応性に欠け、振動や破損を繰り返した。近代化版の新サスペンションも、試験で十分な耐久性を発揮できなかった。
  • 駆動系の不具合: リアドライブ スプロケット(駆動輪)の設計ミスにより、伝達効率が低下。エンジン出力の不安定さも指摘された。
  • 全体レイアウトの課題: フロント集中型配置が重心バランスを崩し、操縦性に悪影響を及ぼした。

これらの問題は、ドイツ自国技術の限界を露呈するもので、1931年9月18日、約3年にわたる開発作業が正式に終了した。2輌の試作車のみが製造され、実戦配備や量産は行われなかった。結果として、軽戦車駆逐自走砲のコンセプト自体が一時放棄され、新規設計は英国のカーデン・ロイド Mk.VI豆戦車の影響を受けた小型車両へ移行した。

影響

L.S.K.の失敗は、ドイツ装甲開発の転機となった。プロジェクト中止後も、そのリアエンジン自走シャーシのコンセプトは1930年2月14日に初言及された小型トラクター(Kleinetraktor)プロジェクトに直接引き継がれた。小型トラクターの初期仕様はL.S.K.の小型版を思わせるもので、重量3トン、60馬力エンジン、2 cm機関砲を搭載し、偵察戦車、弾薬運搬車、砲兵牽引車としての多用途性を想定した。外観上もL.S.K.に類似し、英国製レイアウトの導入後もその痕跡が残った。

Kleinetraktorは試験を経て、1933年7-8月にパイロットバッチ(シリアルナンバー8001-8005、1輌あたり37,800ライヒスマルク)が製造され、1934年に「農業用トラクター」(Landwirtschaftliche Schlepper、La.S.)として量産開始された。これがI号戦車(PzKpfw I Ausf. A、SdKfz 101)の基盤となり、1936年までにシリーズ2-4で1,000輌以上が生産された。L.S.K.の経験は、ドイツ機械化部隊の訓練用軽車両開発に不可欠な教訓を提供し、ハインツ・グデーリアンらの装甲戦理論を支えた。

間接的に、L.S.K.の自走砲コンセプトは第二次世界大戦期の車両に影響を与えた。例えば、PzKpfw I Ausf. Bシャーシを活用した15 cm sIG 33 (mot S) auf Pz.Kpfw. I Ausf. B(1940年、38輌改修)やPanzerjäger I(Sd.Kfz. 101 ohne Turm、202輌生産)などの即席自走砲は、戦間期の試行錯誤の産物として位置づけられる。これらの後継機はフランス戦線や東部戦線で活躍したが、サスペンション問題は引き継がれ、過負荷による故障が頻発した。





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