モンタルチーノとは? わかりやすく解説

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モンタルチーノ【Montalcino】

読み方:もんたるちーの

イタリア中部トスカーナ州の町。中世シエナ共和国要所として発展旧市街中心部ポポロ広場面する市庁舎、サンテジディオ教会など、共和国時代建てられ歴史的建造物残っている。サンジョベーゼグロッソ種から作られるブルネッロディ‐モンタルチーノという赤ワイン産地として有名。ブドウ畑はじめとする田園風景広がり2004年に「オルチア渓谷」の名称で世界遺産文化遺産)に登録された。

モンタルチーノの画像
ブドウ畑撮影・Megan Mallen http://os7.biz/u/IaaxR

モンタルチーノ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/19 01:57 UTC 版)

モンタルチーノ
Montalcino
行政
イタリア
トスカーナ
シエーナ
CAP(郵便番号) 53024, 53028
市外局番 0577
ISTATコード 052014
識別コード F402
分離集落 Camigliano, Castelnuovo dell'Abate, Montisi, San Giovanni d'Asso, Sant'Angelo in Colle, Sant'Angelo Scalo, Torrenieri
隣接コムーネ #隣接コムーネ参照
公式サイト リンク
人口
人口 5,946 [1](2017-01-01)
人口密度 19 人/km2
文化
住民の呼称 montalcinesi / ilcinesi
守護聖人 Maria Santissima del Soccorso
祝祭日 5月8日
地理
座標 北緯43度3分0秒 東経11度29分0秒 / 北緯43.05000度 東経11.48333度 / 43.05000; 11.48333座標: 北緯43度3分0秒 東経11度29分0秒 / 北緯43.05000度 東経11.48333度 / 43.05000; 11.48333
標高 567 (71 - 661)[2] m
面積 309.98 [3] km2
モンタルチーノの位置

シエーナ県におけるコムーネの領域
ポータル イタリア
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モンタルチーノMontalcino)は、イタリア共和国トスカーナ州シエーナ県にある、人口約5600人の基礎自治体コムーネ)。ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ英語版というワインで有名。 2017年1月1日、サン・ジョヴァンニ・ダッソを編入した。

名称

この町の名はラテン語に由来し、かつてこの地域を覆っていたさまざまな種類のオークから採られている。すなわち、mons (山) と ilexトキワガシ)からの造語であり、「トキワガシの山」を意味する。

地理

位置・広がり

シエナ県南部に位置するコムーネで、その領域はおおむね四角形状である。西と南はグロッセート県と接している。ピエンツァから西へ約16km、県都シエーナから南南東へ約32km、グロッセートから北東へ約45km、ペルージャから西へ約73km、州都フィレンツェから南南東へ約82kmの距離にある。

隣接コムーネ

気候

  • 気候区分 (it: zona E, 2308 GR/G

主要な集落

モンタルチーノの本村(人口約2000人)は、コムーネのほぼ中央部(やや北東寄り)に位置する。街の高所からは、アッソやオンブローネ、アルビア谷など、オリーブ園やブドウ畑、畑や村が点在するトスカーナ地方の雄大な眺めを見ることができる。また、丘の麓にはブドウ園やオリーブ園が広がっている。

コムーネ北東部にトッレニエリTorrenieri、約1200人)、南東部にカステルヌオーヴォ・デッラバーテCastelnuovo dell'Abate、約200人)、南部にサンタンジェロ・イン・コッレ(Sant'angelo In Colle、約150人)やスタツィオーネ・サンタンジェロ=チニジャーノ(Stazione Sant'angelo-cinigiano、約200人)の集落がある。

モンタルチーノ 
トッレニエリ 
カステルヌオーヴォ・デッラバーテ 
カステルヌオーヴォ・デッラバーテから 

歴史

モンタルチーノが位置する丘は、おそらくはエトルリア時代には人々が定住していた。史料で初めてこの町が現れるのは814年のことである。この文書からは、9世紀にこの地に教会があり、付近のサンタンティモ修道院 (Abbey of Sant'Antimoの修道僧たちと関連があったことが示唆されている。街の人口は10世紀半ば、付近のロゼッレ (Rusellaeの街(現在はグロッセートの分離集落)から逃れてきた人々が移り住んだことによって急増した。

中世にこの町は皮革生産で知られており、高級な革から靴やその他の革製品を製造していた。時代が流れるにつれ、モンタルチーノを含めた高台の町々は経済的に衰退していく。トスカーナの多くの街がそうであるように、モンタルチーノは長い平和の時代を経験し、ささやかな繁栄を謳歌した。しかしながら、こうした繁栄はしばしば動乱によって中断した。中世後期、ローマとフランスとを結ぶ古い街道「ヴィア・フランチジェナ」 (Via Francigena沿いのこの街は、かなりの重要性を持った独立したコムーネであった。しかし、やがてより大きく野心的なシエーナ共和国の支配下に組み込まれていく。

1260年のモンタペルティの戦い (Battle of Montaperti以後、モンタルチーノはシエーナの衛星都市となったが、シエーナが巻き込まれたさまざまな抗争(とくに15~16世紀にはシエーナとフィレンツェの抗争)の巻き添えを受けることとなった。また、北部・中部イタリアの都市と同様、教皇派と皇帝派の争いにも巻き込まれた。

1555年、シエーナ共和国はメディチ家のフィレンツェ共和国によって征服される。モンタルチーノでは4年間にわたって強い抵抗が行われるが、最終的にはフィレンツェの膝下に屈した。その後、トスカーナ大公国1861年イタリア王国に編入されるまで、この町はフィレンツェの支配下に置かれた。

産業・経済

ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ

モンタルチーノでは、著名なワイン「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ英語版」の生産によって経済は成長している。このワインは、コムーネで栽培されるsangiovese grosso種のブドウから生産される。ワイン生産者の数は1960年代には11であったが、今日では200以上に増加しており、年間33万ケースの「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」が出荷されている。「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」は、保証つき統制原産地呼称(DOCG)の指定を受けた最初のワインであった。

ブルネッロ・ディ・モンタルチーノは5年間の熟成を要するが、これに加えて6年を要するリゼルヴァワイン、sangiovese grossoでつくられ1年寝かせた「ロッソ・ディ・モンタルチーノ」(Rosso di Montalcino, DOC)、そのほかさまざまなトスカーナ・ワインが生産されている。

文化・観光

  • サンタンティモ修道院(Abbazia di Sant'Antimo)

脚注

外部リンク



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