モデルに関する俗説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 05:04 UTC 版)
江戸時代後期の儒者である石川桃蹊の著作である『桃蹊雑話』に登場する松之草村小八兵衛が弥七のモデルであると言及されることがある(松之草村は、茨城県常陸大宮市松之草の旧地名)。同書によると、小八兵衛は、もともと忍びの術に長けた盗賊の頭として捕らえられた身であったが、放免後、徳川光圀に対し、領内には盗賊を立ち入らせないと誓い、その存命中には夜盗の心配がなかったと伝えられている者であった。同人の墓は、茨城県常陸大宮市内に存するとされており、小八兵衛の墓は、隣に建つ妻・お新の墓と共に、風車の弥七の墓と称する観光スポットとして、改造された。 しかし、番組製作者側で明確なモデルの存在について言及しているわけではない。小八兵衛の出自が弥七に酷似していたことから、墓が所在する集落の者がテレビドラマを見て小八兵衛が弥七のモデルに違いないと思い、原形をとどめないほど改造を施し、また、地元の郷土史家の業績を強調することにより観光スポットとして整備したものに過ぎないものである。
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