モティアの防備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 06:16 UTC 版)
モティアは現在のマルサーラ沖のサン・パンタレオ島にフェニキア人が建設した都市で、周辺は浅いラグーンである。周囲は城壁で囲まれており、20以上の監視塔があり、城壁はしばしば海岸の直ぐ側に建設されていた。城壁の厚さは6メートル、高さは8-9メートルあった。サン・パンタレオ島は小さな島であり、その人口を収容するために、ときには6階建ての住居も建築され、その高さは城壁を越えていた。モティアは常設の海軍は持っていなかったようで、カルタゴ軍の守備兵が駐屯していたと思われる。島の北部とシケリア本島とは長さ1,500メートル、幅10メートルの突堤でつながっており、島側には2つの監視塔で守られた城門があった。都市にはフェニキア人、ギリシア人双方が住んでいた。ディオニシュオス軍が接近すると、モティア市民は突堤を破壊し、篭城に備えた。
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