メロヴィング朝とカロリング朝の黄金時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/19 08:33 UTC 版)
「エルスタル」の記事における「メロヴィング朝とカロリング朝の黄金時代」の解説
マース川のほとり、地域資源にも恵まれたこの地には紀元前五千年紀から人が定住していた。ローマ時代が終わり、メロヴィング朝が勃興すると村落は軍事拠点となり、Heristalとして知られていた。トンヘレンとアーヘンをつなぐ街道はこの地でマース川を渡ったことから、交通の要衝でもあった。 メロヴィング王テウデリク3世のもとアウストラシアやネウストリアの宮宰を務めたピピン2世は、トンヘレン、マーストリヒト、リエージュなどの都市に近いこの地を居住地と定めた。彼はトゥール・ポワティエ間の戦いでの決定的勝利によりアラブ人の北西ヨーロッパへの侵略を阻んだカール・マルテルの父でもある。さらに、マルテルの孫のカール大帝もおそらくエルスタルで生まれ、最低でも15年は住んだとされる。しかし、カール大帝がアーヘンに中心地を移したのに伴い、帝国の中心都市としてのエルスタルの中世の栄光は終焉を迎えた。
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