メリルボーンとポートマン家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/31 14:58 UTC 版)
「ポートマン子爵」の記事における「メリルボーンとポートマン家」の解説
ポートマン家の祖サー・ウィリアム・ポートマン(英語版)(?-1557)は、ヘンリー8世の御世に控訴院主席判事(英語版)を務めた法曹家である。彼は1554年に270エーカーに及ぶ敷地(現在のロンドンの一等地メリルボーン地区)を購入、同地はロンドンとともに発展し、子孫も巧みに土地開発を行った。ゆえに、同家は現在でも英国屈指の資産家である。 その孫ジョン(?-1612)は1611年にイングランド準男爵位の(サマセット州オーチャード・ポートマンの)準男爵(英語版)(Baronet, of Orchard Portman in the County of Somerset)を授けられている。 しかし、彼の孫にあたる6代準男爵ウィリアム(1641-1690?)が嗣子なく死去すると、この準男爵位は断絶した。 一方で、その所領と財産はウィリアムの甥にあたるヘンリー・シーモア(?-1728)に相続された。ヘンリーはベリー・ポメロイのシーモア準男爵家(英語版)五男坊であり、彼の妻アンは初代準男爵サー・ジョン・ポートマンの次女にあたる。彼はその後ポートマン姓に改姓している。しかし彼には子供がいなかったため、その死後はいとこにあたるウィリアム・バークリー(?-1737)が地所と財産を承継するとともに、彼もまたポートマン姓を父称した。 その子ヘンリー・ポートマン(生没年未詳)の代になると、メリルボーンは農地から住宅地へと急速に変貌を遂げていく。ヘンリーは特に開発に辣腕を発揮した人物で、ポートマン・エステート(英語版)を設立して巧みに中流階級や労働者層向けの住宅建設を行い、現在の資産家ポートマン家の礎を築いている。
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