メニエール病の発見史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/04 05:27 UTC 版)
「メニエール病」の記事における「メニエール病の発見史」の解説
1861年、フランスの医師メニエールはめまいを起こした後に死亡した患者の三半規管に出血があったことを発見し、フランスの生理学者フルーランが鳩の三半規管を破壊すると飛べなくなることを発見した報告と合わせて、めまい症の中には内耳が原因のめまい症があることを発見した(ただし、メニエールが診た患者は白血病のために内耳出血をおこしたものであり、今で言うメニエール病患者ではなかった)。 1867年、ポリッツァーはメニエールの発見から内耳が原因と思われるめまい症にメニエール症候群という名前をつけたが、これはめまいと聞こえなどの諸症状に対して付けられたもので、病態などは不明なままつけた名前であった(メニエール病以外のめまいを症状とする内耳疾患の多くも含まれる)。 1938年に大阪大学の山川とアメリカのホールパイクがそれぞれ独自に内リンパ水腫を発見し、また、メニエール病以外の内耳疾患も多くは病態が判明してきたので、メニエール病は内リンパ水腫を本体とする内耳疾患との定義が確立した。
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