メクレンブルク公国の紋章とは? わかりやすく解説

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メクレンブルク公国の紋章

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/30 06:45 UTC 版)

メクレンブルク」の記事における「メクレンブルク公国の紋章」の解説

メクレンブルク家バルト海沿岸勢力有したオボトリート族、ケシニ族 (Chizzini)、ツィルツィパニ族 (Circipani) の王子ニクロト(Niklot、1160年没)が始祖である。その子孫キリスト教改宗し1170年には神聖ローマ帝国の候に、そして1348年7月8日にはメクレンブルク公爵に叙された。1658年2月27日には、公爵家はメクレンブルク=シュヴェリーン家メクレンブルク=シュトレーリッツ家分かれたメクレンブルクの両公爵家は伝統的に青-黄-赤三色旗用いていた。しかし、分立している300年のうちに、色の順序何度入れ替えられている。例え1813年には黄-赤-青の順であったが、1863年12月23日シュヴェリーンで、1864年1月4日にはシュトレーリッツで、青-黄-赤の順に改められた。一方海上旗についてはメクレンブルク=シュヴェリーン1855年3月24日黄色に代えて白を使うことを法制化した。 このためか、ジープマッハー紋章図鑑ではシュヴェリーン青-白-赤、シュトレーリッツは青-黄-赤となっている。また、図鑑によればシュヴェリーン大公家大きさが3.75メートル×5.625メートル中央の白い部分に高さ1.75メートル紋章入れた旗を使っていたという。

※この「メクレンブルク公国の紋章」の解説は、「メクレンブルク」の解説の一部です。
「メクレンブルク公国の紋章」を含む「メクレンブルク」の記事については、「メクレンブルク」の概要を参照ください。

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