ムバーラクに対する裁判
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「エジプト革命 (2011年)」の記事における「ムバーラクに対する裁判」の解説
ムバーラクに対する裁判は2011年8月3日にカイロ刑事裁判所にて開始された。弁護側が裁判長交代を求めたため、約3ヶ月間休止した後に12月末に再開された。裁判では約850人の死亡者が出たことに対するムバーラクの責任が争点となり、ムバーラク側は無罪を主張。これに対し検察側は、2012年1月5日の公判で革命のさなかデモ隊の殺害に関与したとしてムバーラクら7人に絞首刑による死刑を求刑した。6月2日に判決公判が開催されることとなり、約2週間後の大統領選決選投票への影響を考慮し判決言い渡しが延期されるとの憶測もあったが、6月2日に予定通り判決が言い渡され、ムバーラクは終身刑となった。デモ隊の殺害に関与したことは認定されたが死刑は回避された形となり、これに不満を持った市民が判決直後に警官隊と衝突し、各地でデモが発生した。 クーデター後、ムバーラクへの裁判は上級審によって審理やり直しが決定し、2014年11月29日に事実上の無罪となる公判棄却の判決が言い渡された。
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