マーリンズ時代以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/16 23:26 UTC 版)
「ダラス・マクファーソン」の記事における「マーリンズ時代以降」の解説
2008年1月31日、2007年オフに主砲ミゲル・カブレラを放出して三塁手が手薄となったフロリダ・マーリンズと契約。ホルヘ・カントゥと共にカブレラに替わる正三塁手候補として期待されていたが、11試合の出場に留まった。2009年3月31日に解雇された。 2009年4月にサンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約を結ぶも、背中の治療のため1年間全休した。 2010年はオークランド・アスレチックス傘下のAAA級サクラメント・リバーキャッツでプレーし、84試合に出場して打率.267・22本塁打・75打点・1盗塁の成績を残した。 2011年は主にシカゴ・ホワイトソックス傘下のAAA級シャーロット・ナイツでプレーした。メジャーでは3年ぶりにプレーしたが、11試合で打率.133と振るわなかった。 2012年は引き続きAAA級シャーロットと、8月からはピッツバーグ・パイレーツ傘下のAAA級インディアナポリス・インディアンスでプレーした。 2013年はロサンゼルス・ドジャースのスプリングトレーニングに招待選手として参加していたが、3月20日に解雇された。その後、この年はアトランティックリーグのヨーク・レボリューションでプレーした。
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